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2011年3月

2011年3月20日 (日)

東日本大震災

この震災により多くの命が犠牲になりました。亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。そして、被災者の皆様の無事を心よりお祈り申し上げます。

私も母の実家が津波の直撃をもろに受けてしまった南三陸町の海沿いにあり、親戚の数人の安否がわかっていません。

安否情報リストなどで情報収集などしているのですが、、、。

子供の頃、毎年夏休みになると訪れていた母の故郷。あの穏やかな小さな漁村。星が凄く綺麗に見えて庭先から天体望遠鏡でよく見た記憶がある。ところが、十数メートルの高さを走っていた気仙沼線の線路が津波後の空撮写真で確認すると消失している。

あの小さな漁村すべてが津波に飲み込まれてしまった。おばあちゃんから、「昔はチリ津波がこの高台の家の足元まで来て多くの方々が亡くなったんだよ~」と、よく聞かされていた。

そのチリ津波の後、防波堤や水門が造られた。だが、今回の津波はその防波堤を遥かに凌ぐ高さだった。

助かった親戚の方の話では、その高台のおばあちゃんの家も屋根だけ残して津波に抉り取られるように全壊してしまったようだ。

ここよりも上の親戚の家は無事だったようだが、他の親戚の家はすべて流されてしまった。今現在、無事だった親戚の家に助かった方々が避難しているとのこと。

地震直後、僕は板橋にある会社に勤務していた。携帯の「ゆれくるコール」アプリが30秒後に震度2程度が来るとのプッシュコールが入った。数秒後、僕が経験したこともないような大きな揺れが来た。実際に来たのはここでは震度5だが震源地はどうやら三陸沖のようだ。こんなに離れている場所でこの大きな揺れでは震源地の母の故郷では大変なことになっていると容易に想像できた。

案の定、震度7、マグニチュード9.0のとてつもなく大きな地震だった。その後も大きな余震が続き、電車が止まっているので残業1時間をしてからさいたま市の自宅まで歩いて3時間半掛けて帰った。

とにかく行方のわからなくなってしまった親戚の方々が無事にどこかの避難所で避難していることを祈るばかりです。

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