2012年5月
2012年5月21日 (月)
2012年5月 6日 (日)
母の思い出
母は私が中学生の頃から腎臓が悪く人工透析をしてきた。2月下旬、母が肩の痛みと高熱を訴え整形外科で膿を抜いて帰ってきたのだが、夜になっても痛みが引かず救急車で埼玉県内の救急病院に運ばれた。
その数日後、去年首の骨折をした時にもお世話になった神奈川県川崎市の病院に転院した。
さいたま市と川崎市を会社帰宅後に弟夫婦と私ら夫婦で1日おきに行ったり来たりした。病態が悪く会社を休んで私だけ病院の仮眠室に泊まったときもあった。
意識が戻ってきて欲しいので、携帯に母が好きだった井上揚水のリバーサイドホテルを私が歌ったものを吹き込んで母の耳元で聞かせてあげたりもした。看護婦さんが居る前で恥ずかしかったがそんなことは言っていられない。
その後、意識がほんの僅かだが反応があるように感じられた。先生にはわからないようだが、私が母の手を握ると握り返してくれたように感じた。私は涙がこぼれた。
先生の話では、長い年月人工透析をしているとアミロイドというタンパク質が関節などにたまるらしく、肩に溜まったアミロイドが化膿しているという。感染症を引き起こすと抵抗力が無い為リスクが高い。その後、母は脳梗塞になり3月14日のホワイトデーの日に70歳で息を引き取った。
残念なことにみんな仕事中だったので間に合わず、先に到着した弟から病院に向かう途中メールで母が亡くなったことを知った。
父71歳が亡くなって4年。母は父の7回忌までは頑張ると言っていたが逝ってしまった。いつもいつも自分のことは後回しにし私達子供のことを第一に考えてくれた優しい母。
何も親孝行ができなかったことを悔やみ涙した。温泉とか連れて行ってあげたかった、、、。もっともっと、優しくしてあげれば良かった、、、。
喪主として霊柩車の運転手にそのことを告げると生きていることが最高の親孝行なんですよと言われ、心が救われた。
そして、先日、49日の法要と納骨も滞りなく終わった。
母は人生の半分を病気と戦った。それでもしっかりと私達を育ててくれた。私が自然や宇宙を好きなのは母が買ってくれた百科辞典のお陰だ。プレアデス星団の美しさにどんなに心が惹かれたことか。
そんな母の人生、母にとって幸せな人生だったのだろうか?
父と出会い、私達兄弟を授かり、きっと幸せだったのだろうと思いたい。思い出の写真にはいつも微笑んでいる母が写っているから、、、。
そして、茶だんすの引き出しの中から封筒に入った一枚の写真が出てきた。この写真を遺影に使ってね!と書いてあった。
お母さん、私達にたくさんの愛をありがとう!天国で父と一緒に私達を見守ってね!
お父さん、お母さん、本当に本当にありがとう!
最近のコメント