« 再び車山高原へ | トップページ | 金環食 »

2012年5月 6日 (日)

母の思い出

母は私が中学生の頃から腎臓が悪く人工透析をしてきた。2月下旬、母が肩の痛みと高熱を訴え整形外科で膿を抜いて帰ってきたのだが、夜になっても痛みが引かず救急車で埼玉県内の救急病院に運ばれた。

その数日後、去年首の骨折をした時にもお世話になった神奈川県川崎市の病院に転院した。

さいたま市と川崎市を会社帰宅後に弟夫婦と私ら夫婦で1日おきに行ったり来たりした。病態が悪く会社を休んで私だけ病院の仮眠室に泊まったときもあった。

意識が戻ってきて欲しいので、携帯に母が好きだった井上揚水のリバーサイドホテルを私が歌ったものを吹き込んで母の耳元で聞かせてあげたりもした。看護婦さんが居る前で恥ずかしかったがそんなことは言っていられない。

その後、意識がほんの僅かだが反応があるように感じられた。先生にはわからないようだが、私が母の手を握ると握り返してくれたように感じた。私は涙がこぼれた。

先生の話では、長い年月人工透析をしているとアミロイドというタンパク質が関節などにたまるらしく、肩に溜まったアミロイドが化膿しているという。感染症を引き起こすと抵抗力が無い為リスクが高い。その後、母は脳梗塞になり3月14日のホワイトデーの日に70歳で息を引き取った。

残念なことにみんな仕事中だったので間に合わず、先に到着した弟から病院に向かう途中メールで母が亡くなったことを知った。

父71歳が亡くなって4年。母は父の7回忌までは頑張ると言っていたが逝ってしまった。いつもいつも自分のことは後回しにし私達子供のことを第一に考えてくれた優しい母。

何も親孝行ができなかったことを悔やみ涙した。温泉とか連れて行ってあげたかった、、、。もっともっと、優しくしてあげれば良かった、、、。

喪主として霊柩車の運転手にそのことを告げると生きていることが最高の親孝行なんですよと言われ、心が救われた。

そして、先日、49日の法要と納骨も滞りなく終わった。

母は人生の半分を病気と戦った。それでもしっかりと私達を育ててくれた。私が自然や宇宙を好きなのは母が買ってくれた百科辞典のお陰だ。プレアデス星団の美しさにどんなに心が惹かれたことか。

そんな母の人生、母にとって幸せな人生だったのだろうか?

父と出会い、私達兄弟を授かり、きっと幸せだったのだろうと思いたい。思い出の写真にはいつも微笑んでいる母が写っているから、、、。

そして、茶だんすの引き出しの中から封筒に入った一枚の写真が出てきた。この写真を遺影に使ってね!と書いてあった。

お母さん、私達にたくさんの愛をありがとう!天国で父と一緒に私達を見守ってね!

お父さん、お母さん、本当に本当にありがとう!

|

« 再び車山高原へ | トップページ | 金環食 »

心と体」カテゴリの記事

コメント

 お悔やみ申し上げます。

山男さん、お母上をお見送りされたとのこと謹んでお悔やみ申し上げます。またこれまでに母上のためによく尽くされたご様子がみてとれます。きっと何の憂いもなくたび立たれたと思います。いつの世も「父の恩は山よりも高し、母の恩は海よりも深し」といいます。いつまでも心の中によい思い出をのこしてください。

 では。

投稿: 笑遊 | 2012年5月 6日 (日) 19時27分

yamaotoko様
 最近どうされたのかなと思っていたところ、たいへんなお辛い状況があったのですね。なんともおかけする言葉が見つかりません。
 地球を取り巻く星空の風景は見る人の心を、そしてそれ以上に自分の心を癒してもらえる時間だと感じています。 yamaotokoさんの星空撮影への思いがきっと周りの人たちの心を癒し、ご自分の心も癒してくれるものと推察します。yamaotokoさんの星空映像のファンのひとりとして、次なる星空への思いをご期待申し上げます。

投稿: aomorigonta | 2012年5月 6日 (日) 21時41分

笑遊さん、aomorigontaさん、お悔やみの言葉を頂きましたうえ、ご丁重なお励まし、ありがとうございます!
暫くは土地の売却やら名義変更などで忙しいですが、少しずつ山に行ける時間をつくってまた素晴らしい自然を堪能して行こうと思います!
これからも宜しくお願い致します!

投稿: スターダスト☆(yamaotoko100) | 2012年5月 7日 (月) 00時55分

初めまして~
母の日にちなんで読ませてもらいました。
私の母は10年前に意識不明で倒れ4日後に帰らぬ人となりました。
父と弟妹は回復すると信じ懸命に手を握っていました。
意識が戻っても「植物人間」楽にしてやりたいが私の本音でした。
反面、手を握れば自分を失いそうで怖かったです。
未だに母との最後の会話が思い出せないのに悔やんでいますが母の遺影は私が写した写真を使用出来た事が親孝行になりました。
山男さん、複雑な時間を過ごされていると思いますが私も10年と言う月日が流れても心の整理がつきません。
でも懸命に生きる事が清一杯の親孝行と信じています。

投稿: 無縁坂 | 2012年5月13日 (日) 17時28分

無縁坂さん、はじめまして!
コメントありがとうございます!
そうでしたか、無縁坂さんも大変な思いをされたのですね。
10年の月日が経っても心の整理ができていないとのこと、本当に人の死は尊いものですね!
本当に無縁坂さんのおっしゃる通り、残された遺族は一生懸命に生きる事が一番の親孝行だと信じています。

投稿: スターダスト(ヤマオトコ) | 2012年5月13日 (日) 23時24分

この記事へのコメントは終了しました。

« 再び車山高原へ | トップページ | 金環食 »